子どもが小さいのに保育園に預けるの可哀そうなのか?

「保育園に預けるのは可哀そうだからやめろ」
 
知り合いの友人が保育園が決まったのに、夫の両親から言われて入園を辞退した話を聞きました。

共働きでないとやっていけない経済状況ではないから出た発言なのでしょうが、せっかく決まった保育園を辞退せざるを得ない母親の方が不憫に思えます。
 
 
なぜ可哀そうと思うのか?

それは大人が決めつけているところが大きいのではないかと思います。

特に上の世代の人は専業主婦が多く、子育ては仕事の一つだったから、母親は子どもが小さいうちは一緒にいるのが前提として生活していた。自分にとっての当たり前をそのまま今の子育て世代に当てはめている人も多いのではと思います。

当たり前でない状態=違和感 を「可哀そう」という言葉を使って置き換えているように感じます。
(言っている本人に悪気はないので、真っ向から否定できないのですが…)

 
ただ、子どもと一緒にいてその成長ぶりをもっと見たいと思うのも親心。
そのために、やっぱり復帰の時期を遅らせたい、子育てに専念したいと思うのも理解できます。
 

どの親にも共通して言えることは、最終的に親が望むのは「子どもの自立」。
 

そう考えると、保育園に預けると、集団行動のために社会性が身に付きます。同時に多数の園児や先生と触れることによって、社交性も身に付きます。
それは社会で働く上で必要なスキルになります。
 
その時その時によって子どもの心は変化するので、保育園に入れっぱなしでいいと乱暴なことは言えませんが、可哀そうという言葉だけに流され、入園の選択肢を放棄したくないなあと思います。

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