人生が暇つぶしならば

物心ついてから、時間を有意義に過ごそうとしてきたけど、有意義に過ごすって何だ?ってここに来て思いました。

私が激しく勘違いしていたのは

・忙しくすること

・社会的に意義のあることをすること

・沢山の人と交流して知見を広めること

でした。どれも自分にとって価値があると思ってきたことで、人に言われなくても進んでやってきたことです。日本ではお金を出して外に出れば何かしらこれらのことがすぐ出来る環境にありました。むしろありすぎる位であって当然だと思い込むほどです。

けれど今それらのことが容易に出来なくなって、それらが本当に有意義な時間の過ごし方になるのかわからなくなりました。


インドネシア人の楽しみを聞くと、「家族と過ごすこと」「ご飯を食べること」「物を買うこと」「おしゃべりすること」が挙がります。一昔前の日本のようですが、日本にいる時にそれらを十分にしていたとは言えないな、とふと思いました。


・ありすぎるから有難みがなくて試す前に他のものがないか探したりしてないか?


・どこにでもあるからと、どこにも無い物を求めて目の前にある物を逃していないか?


日本にいる時はそんなこと思いませんでしたが、今はそう思います。

面白いのはインドネシアのモールは似たようなチェーン店ばかり入っているのですが、それでも休日は家族や友人と一緒にモールに行って過ごします。飽きないのかなと思いますが、他に娯楽がないし、目の前にあるものを楽しもうとするから飽きていてもモールに行くようです。

日本にいると給料をまず生活費に当てる人が多いからか、外食・買い物など娯楽の部分が節約志向になりがちだと思います。こちらではそんな志向はどこ吹く風…

ガンガン外食も買い物もします。見方を変えると、今まで使っていなかった分野にお金を使うことが出来ていると捉えられます。お金があるわけではないけれど、ケチケチしていた傾向が少しずつ減ってきました。


今は時間があるから強く思うのです。人生は暇つぶしなのかもと。有意義も糞もないのかもと。

ならば私はやりたいと思ったことをしたい。

ただ時間を過ぎるのを待ったり、日本にいる時のように、とにかく予定を入れて忙しくしたり、むやみやたらに人に会ったりするのでなく。今は少しずつですが、1個1個の出会いや活動が自分が望んでいることに繋がってきているからそう思うのかもしれません。


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