嫌なことを眺めて観る

帰国して久しぶりに実家に帰って気が付いたことです。

昔から母親が苦手であったので心のどこかでチクチクとしていた。

一番の理由は母親に一番自分が似ていると小学生の頃から言われ続けてきたことだった。

今の今まで似ていると言われるだけで過剰に反応し「私は私だ」と心の中で叫んでいた。


けれど、今回の帰省で母親の若い頃の写真を見せてもらい確かに似ていると思った。

言われると嫌がっていたのに、自分で見つめると納得した。母親が似ていると言っていたのは顔だけであったことも理解した。


似ていることがどうしてそんなに嫌なのかは幼少期に父親から自立出来ずに苦しんでいた母親の姿をよく目にしていたからだ。そんな母親を見ると「自分もこうなるのではないか?」と言った不安を持って生きてきた。

けれど不思議なことに母と同じ軌跡をたどるように母と同じ職業を選び、父親と似た人と結婚した。けれど、自分で母親と似ているのが顔だけとわかり、母がたどったレールはもうたどらなくてもいいと思った。


嬉しいことに母と似ていると自分で認められると、いいところが見えてくる。

笑いの沸点が低くよく笑うと言われるが、それは母そのものだった。家族の中心に母がいる家庭はいつも賑やかで楽しかった。


認めたくないことがあるなら、嫌な気持ちを脇に置いて眺めて観る。

そうすると見え方もずっと一人で背負ってきたものも降ろせるようになる気がします。

0コメント

  • 1000 / 1000