ピッタリくる感覚を大事にしよう

今日が2000円分のクーポンの引換最終日だったので、昨日も行った紀伊国屋書店に行った。昨日は気が付かなかったのだが、前から欲しと思っていた日本の書籍と目が合った。昨日もこの本があった箇所を見ていたハズなのに気が付かなかったのか、今日たまたま入荷したのかはわからないが、あまりにもドンピシャだったので不思議に思った。


不思議なことは続いた。

2000円分まで買い物しないと損なのでついでにバティック柄のカードとのりも購入した。私は計算が苦手なのでどんぶり勘定で品物を購入するのだが、お会計は2045円。ほとんど誤差なしでピッタリだった。

さらに、ピッタリのことがあった。

別の場所に移動するのに、何度もタクシーに乗っているのに今日初めて女性ドライバーにあった。しかも、大体のインドネシア人の女性は結婚していれば子どもがいて、仕事はお手伝いさんか会社員をしているのだが、この人は結婚しているが子どもなし、年も1私と近く、ドライバーにしては珍しく英語が話せてほぼ正確に道を知っていた。最近バリのアヤナホテルに行ったことを話すと、女性ドライバーはハネムーンで行ったことがあると話が盛り上がった。


さらに不思議なことは続く。

今日は前からスパに行ってみたいと思っていたので予約して行ってみたのだが、その時の担当のおば様の相性がよかった。ベテランというのもありが、手が体に吸い付くようにマッサージしてくれ、今日の自分にピッタリのスパだった。

帰りがけにコリアンスーパーによるも、この時も夕食に最適な食材に出会ったり、買おうと思っていた芳香剤が置いてあった。


なんだかこんなに沢山のピッタリが一日にどっと押し寄せるのは珍しかった。というのも、ジャカルタで生活を始めて夫は仕事が忙しいので会話する時間が思いの他なくすれ違っていたり、友人も自分と合う人にはまだ巡り会っていないかった。今一つしっくり来ていない生活を送っていた。

そんな状況をよしとはしていないけれども、惰性で受け入れている場合、自分の望む状態とピントをずらして生活していたことになる。そうすると、自分に何がピッタリかとか、心地よいとか生き物として持つ感覚まで鈍らせてしまう。

では、何かがピッタリなら、それはどういうことなのか?


感覚は人それぞれなので一般な説明は出来ないが、自分にとっては身体の胸の辺りが「オッ!」と反応した時だ。

胸の辺りというのは人間の体でいうと、第四チャクラに当たる部分。チャクラというのは、人間なら誰もが備えており、チャクラを通して外界とのエネルギー交換をし体内に気を巡らせる。第四チャラとは、愛の学びのチャクラであり、心で人と繋がることやパートナーシップの創造がテーマになっている。

今生活でピッタリこないのも思い描いている「繋がり」「パートナーシップ」が思うようにいっていないからなのか、対象とは別の他のこととの関係性の中で「ピッタリくる感覚」を教えてくれた気がする。 

意外と言葉に従うよりも感覚に身を任せた方が「真に自分にピッタリのもの」に近づけることがある。真にピッタリのものは、自分が自然と心を開いており、心地よさをもたらしてくる。また、それにより、自分の強みやよさが引き出されやすかったりする。


言葉や思いの通りにうまくいっていない時は、しっくり来ていない、満足していないのだろう。そんな時は一度主導権を思考から感覚へ、バトンタッチしてみてもいいのかもしれない。感覚を大切にすることは、自分を大切にすることにつながるだろうから。

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