何もやりたいことがない状態から脱するには?
最近体調を崩してから気分の落ち込みが激しく、ソファーでゴロゴロしたり、ただボーっと時間が過ぎるのを待つ時間が沢山ありました。
それは今まで語学学校に通っていたのですが、それがとうとう昨日で終了し、「この後どうしよう?」と不安に駆られていたからでした。
インドネシアでは英語が通じないのでインドネシア語は「やる必要のあること」として取り組んできました。それがなくなり、いざ「ガッツリやりたいこと」となると「ハテ?何だろう?」と我に返ってしまいます。
その不安の裏には「貢献していないこと」が自分の価値で自分の価値を下げているのだと思います。
少なくとも働いた経験がある場合で、特に奉仕する度合いの高い仕事だと「他者・社会への貢献度=自分の価値」と思うのは自然なこと。貢献することは一般的にいいことであるし、よほどの人格に問題がない限り「人の役にたつこと」は生きていくうえで喜びになるからです。
それがパッタリとなくなる生活だとどうでしょう?
生まれ持った気質にもよりますが、生産性のないことや社会にとって価値のないことと思われる活動(駐在妻同士のランチ会、クラブ活動、趣味)ばかりしていると、なんだかどんどんダメな人間になっている気がするのは私だけではないと思います。
じゃあ働けば?
という話になるのですが、ジャカルタでは会社の規定で就労が禁止されていたり、夫の任期が不明であったり、と帯同する妻にとっては簡単に働ける状況でないのも事実です。
それにこちらで出来る仕事はやりたいことなのか?というとそれも不明。
本気になってやれば楽しいとは思いますが、楽しいこと=やりたいこと、必ずしもなる訳ではないし、「時間を忘れるほど夢中にできる」「他のことよりも最優先にやりたい」「生涯かけてやりたい」といったこととは、実際は違っていたりします。
時間があるから暇しないようにするためであったり、単なるボランティアよりも収入があって一般的に働いていると言うと聞こえがいいから働くという人も少なからず駐在の奥様で働いている方の中にいる思うのです。だって時間が出来ると恐いから。仕事をしている自分は社会にも貢献しているし、忙しければ時間を無駄に無為に過ごしていると思わずに済みます。
じゃあどうするの?
というと、ジャカルタに来る前に「ジャカルタに行ったらこれしよう♪」と「ワクワクしたこと」に手を付けてみるといいと思います。
やってみてやっぱりそんなにやりたいことではなかったらそれでいいし、やってみて続けたいと思ったらそのままでと思います。恐らくですが、こちらの生活に慣れることが優先で、そちらには十分に時間を割いていなかったりします。
手や体を動かすと流れが出来ますので、それに一度乗ると次につながります。あれしよう、これしようと次にすることが湧いてきます。
私もブログを始めてまだ2か月位ですが、ブロガーの方と交流したい、写真がうまく撮れるようになりたい…など思うようになりました。始める前は全く思っていなかったことですが、動くと少なからず頭を使うので、すべきことに加えてやりたいことも引き出されるのではないかと思うのです。そうすると寝ている状態から起き上がりたくなります。
えー、でもやりたいことがないし、自分は価値が低い…
そう思う方は文末の記事を読んで見てください。
何だか肩が軽くなります。
生きてるだけでネタになるなんて大阪人からしたらツッコミどころ満載です!
大阪人にツッコまれなくても(笑)、ネタだらけの自分は何も持っていない訳ではない、
きっと何かは持っている(ハズ)。
そう思うとジャカルタ生活でさして取り柄がない私でも、この国で仕事しない分出来ることを楽しもう!
そう思えてきたのでした。
最後はきっと立ち上がれる!
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