思い込みを紐解く
今日早速モーニングノートを開始しました。そこで、気がついたことがあります。
最近思い混みが激しいなと。例えば、メールでリンクを送ったと言われたけど見落としているハズがないとなぜか自信を持って答えたのに見落としていたり、待ち合わせ場所を前と同じと思っていて待ち合わせ場所に行ったり。
働いていた時も指示されていたことを聞き逃して怒られたり、患者さんに依頼されたことを忘れていたりとポカをやることがありました。
そういう時は他にとても強力な思い込みがあります。
あの時は「この職場はわたしの居場所でない」とよく思っていたので、仕事をすればするほど自分の内面がすり減っている感覚がありました。今は仕事をしていないですが、少し内面をこじらせ気味で、「何も活動していない自分は価値がない」と思い混んでいることに気が付きました。
最近ツアーを企画したり、来年のグローバル女子会のためにジャカルタの市内を見たり、連日人に会ったりと行動しているのですが、すればするほど疲れてしまっていました。行動しているのになぜ?と思います
しかし、「何もしていない自分は価値がない」と思い混んでいるので、行動すればするほど、「何かしている自分は価値がある」と思います。一方で、根源にある「何もしていない自分は価値がない」という思い込みを強めています。
強力な思い込みはプロのカウンセリングが必要になりますが、思い込みを軽くする方法として、「置き換え」があります。
置き換えにはいくつかありますが、
例えば、
・述語を反対の言葉にしてみる
という方法があります。
置き換えてみると、
「何もしていない自分は価値がある」となります。一瞬「え??」と思いますが、次に理由を3つ考えます。
なぜならば…
①何もしていなくても私と会ってくれる人がいるから
②私以外に何もしていない人は巨万といるから
③実は何もしていないことなんてないから。最低限の人間の生命活動はしている。それに事実自分で決めたことを実行している。仮に何もしていないと言われても、こうして文章は書いているし、日々考えている。
と自分なりに答えを導き出そうとします。ここでは論理的に整合性がとれているかは気にせずとにかく挙げてみます。
自分指標だと「何もしていない」の「何か」は社会的に価値があること、生産性のあることを指すのですが、人の目を気にしやすい人(自分含めて)は特に、その指標として、仕事はわかりやすい活動なのだと思います。言い換えると、それは自分以外の多くの人が一般的によしとしている「認められる」活動です。
いかに自分が人の目を気にして生きているのかわかります。悲しいことに自分を置き去りにしてるのに、他人を必要以上に気にしている。そんなことに気づいた時、『source』からそっと心を癒してくれる箇所を見つけました。
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【自分を愛する】
自分を愛するということは、何か特別なことをすることではありません。
自分の中に浮かぶ思考、湧き出る感情、身体の感覚、
そのすべてを裁かず、評価せず、
あることがあると見つめ、
一つ残らず受けとめ、自分がまず寄り添うことです。
誰かに反応し、受容してもらったり肯定してもらいたいのは、
自分の中で受け容れてない何かがある。
ただそれを教えてくれているのです。
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仕事せずモンモンとするこの状況は、自分を愛するにはいい環境なのかもしれません。
時間がただ過ぎるだけだと思うのか、自分を愛する時間を過ごしていると思うのか。
後者でありたい思い、自分を包もうとする人が多くいると元気が出てきます。
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