友人とのカウンセリングセッション
ここ最近何をしててもなぜか頭にもやもやがあり、目の前のことを楽しめません。気晴らしに買い物や旅行に行ってみるものの状況が変わらずにいました。そこで、久しぶりに8期LPL講座を受講していた友人にお願いしてセッションしてもらいました。
もやもやの原因は「やりたいことをやっても疲れる」ことだと思っていたので、そのことを伝えるけれど実際本心は違いました。「一緒に活動する仲間がほしい」と心の底でずっと思っていました。それでもすぐに親友と呼べるような人は見つからず、会ってもすごく気が合うことは結構まれなことであるというが私の感触でした。
なので心のどこかで「次こそは」と思いながらも「諦めよう」と思っている自分がいました。
そこで気が付いたのは、見切りがとても早いこと。
人との関係も時間をかけて付き合うことで見えてくるものや関係性は深まるものですが、「合わない」と思ったら、そこでシャットアウトしてしまう癖が昔からありました。見切りの早さによる弊害は知っていたので、諦めないで取り組めない自分に対して否定的な感情を抱いていました。
その否定的な感情と「こんな自分はよくない」という考えが頭を重くしている感覚があったのですが、頭に手を当てるとスッと重さが消えていきました。手に遠慮して重さが身を隠した感覚でした。この感覚は我慢している自分自身の姿勢であることに気が付きました。手が他人だとすると、相手が圧をかけると「私はいいや」と我慢して身を引いてしまう自分がモヤモヤ。そして実は、手は他人でなく成熟した大人の自分、一方でモヤモヤは子どもの自分(インナーチャルド)に置き換えられると直観しました。
そこで大人の自分と子どもの自分に交互になって対話を進めました。
結局最後は「一緒に活動する仲間がほしい」というところに行きつきました。
今までその願いは「自分の好きな人と一緒のことをする」という「好きな人」が前提にありました。けれど、「好きなことを一緒にしていくことで人を好きになる」という「好きなこと」が前提にない状態で行動していることに気が付きました。
本当は後者の経験はしていたはずなのに、気が付くと「好きな人と一緒にすること」の方が価値があると思い混んでいました。特に夫婦は一緒にいないと意味がないと思い込んでいたなので、主人と趣味が合わず一緒に行動してくれない度にわずかながらも苛立ちを覚えていました。
けれど「好きなこと」から始めた方がもっと今を楽しめるのではないか?と気づきました。
好きな人が嫌々一緒のことをやる(逆もあり)と楽しくないでしょう?
人によりますが、私は相手も楽しんでいて自分も安心して楽しめるタイプです。
楽しい時間を過ごすならば、相手も自分も時間を無駄にしていることになります。それならば、好きなことが共通の相手である方が同じ時間を過ごすにしても楽しい時間が長く持続すると思いました。
好きな人と常に一緒にいたいと思う、付き合いたてのカップルの感覚を無意識に持っていたようです(^^;)
なので、「一緒に活動する仲間」は「好きな人」よりもまず「自分の好きなこと」を優先して仲間を呼べる人に出会って行けばいいんだと腑に落ちました。
無理に相手に合わせて我慢し身を引くのも相手を気にし過ぎているから。
特にそれが好きな人の場合、嫌われたくないと思うのが当然です。
だからこそずっと我慢していた子どもの自分が自分の内側にいることにも気が付きました。
でも我慢しなくてもいいとしたら?
好きな人を気にするより好きなことを気にすればいい。
好きな人は感情にも波があり嫌われることもあるけど、好きなことは自分を嫌いになったりしない。勉強と同じで打ち込んだ分だけその魅力がわかり、もっと知りたいと思うから。最後には、大人の自分と子どもの自分を呼んで好きなこと会議を開催しよう!と思えた素晴らしいセッションでした。
久しぶりのセッションを受けて、自分を苦しめる思い込みから離れるには、カウンセラーの力が不可欠であることを改めて実感しました。カウンセリングは互いに気づきや感動があるので楽しい。その楽しさも今日のセッションが教えてくれました。
岡部明美さんのHP
立花岳志さんのブログ。私含め、この記事を読んで岡部さんの講座・ワークショップに行きついた人もいます。
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