感謝や謝罪されないと腹が立つのは?

今日ムカつくことがありました。


お店の予約を頼まれてしたのに、感謝の言葉はなし。

それどころか、サラリと他の方に「いいお店ないか」聞いていたのを知った時、ものすごい怒りが湧いてきました。

それはもうメラメラと!


でもこの感じ前にも味わったことがあったので、


ちょっと待てよ


自分にタンマを出しました。


思えば知人が起こした事故に対して、謝罪せずに逆ギレされた時のこと。

同じように、嫌だけと「頼まれたから」と思ってやったのに、大して感謝されなかったことなど、いくつもそのシーンが浮かんできました。


なぜだろう?


気づいた次に思うのが疑問です。


そこでネット検索してみました。

記事はほんの一部ですが、確かにそうかもと思いました。


自己肯定感が低い、他人がいいと思うものは自信を持って誰々がいいと言っていたと言えるけど、自分で自信を持って決めることが出来ないetc…


今思えば父親がそうでした。働いているのに、母親と子どもたちが『父の望むレベルの感謝をしていない』と父は感じていたようで、「もっと俺に感謝しろ」と、よく言っていました。


感謝の強要です。もれなく、不機嫌かつ怒りも毎日のようについてきました。


一方母親は、その対極のような人だったので、家庭のバランスは母親で取れていたようなものでした。


親が悪いと言いたいわけではないけれど、自分の望ましくない行動の根源が親との関係にあるのは間違いないと思います。

そうすると、『自分も父と同じ理由でムカッとくる』と捉えられることができます。

自分の取る行動が、自発的でなければないほど自分の気持ちがすり減り、不安定になる感覚があります。

その分を「感謝」や「謝罪」といった相手の気持ちで自分を埋めようとしているように感じます。


同時に思うのが、これは癖のようなもの。


だから、今回のように「待てよ…」と自分でタンマをかけられたら、自分でかけた罠から抜け出す行動はもう取れている


自分の中で知りたい気持ちが落ち着いたら、

次に思うのは「じゃあどうするか?」


“選択”を考えます。


知りたい気持ちがワクワクするもの。つまり、好奇心から来ているものならOKだと思うのですが、そうでなく「管理したい、支配したい」という欲ならば、それは不安から来ています。だからその場合は注意が必要。

不安に駆られて行動するといい結果は招かないからです。


話を戻すと私は選択の一つとして、

感謝に関する別の言葉を持ち出しました。


漫画ハンターハンターのキルアの言葉です。


“ひとつ言っとくけど、次にこんなことがあっても、もういちいち礼とか言わないからな。
だからもし今度逆にオレがお前を助けるようなことがあっても、お前もオレにありがとうとか言うなよ。
友達が友達を助けるのは当然だろ。“


身近な人であればあるほど、言葉での感謝を求めがちです。が本質的には違う。


一般的には感謝されるような行動でも仲間ならするのが当然=自発的にするもの。

だから感謝なんかいらない。

自分がしたいと思ったからしたまでのこと。


そもそも感謝も謝罪もしたいと相手が思わなければされないし、それは相手の心次第。

相手の心は相手にしかどうにもならない。


とは言え、態度でも全く感謝や謝罪しない人を見るとムカつきます。

けど、それはまた別の話。

そういう人は、相手から「してもらって当然」「だって私・俺悪くないもん」という気持ちが態度で出ている。だからムカつく💢

その時は容赦なく攻撃します(笑)



私は不安の解消として『調べる、考える』ということをよくするのですが、

今目指しているのは、

感情が湧いてきたら『味わう』こと。

それも消えるまでじっくりと。


CCCで学んだワークで「SSワーク(整理整頓ワーク)」というものがあり、不本意な自分の感情をそのまま味わい切るワークがあるのですが、これがなかなか難しい…

私は、一人でやろうとすると感情が逃げてしまいます。


たった一つの感情でもここまで広げられる自分の妄想?分析?も驚きますが、でもこういうことに取り組むのが好きなのでやってます。

よく疲れそうな性格だねと言われますが、それは仕方かない、そういう風に生まれたんだから^^


気長に付き合いま~す♪

夢の国なら妄想全開‼

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