頼まれごとは試されごと
中村文昭さんの講演の中にある言葉です。
友人から頼まれていたことで出来ない時があった時。別にお金が発生するわけではないけれど、何となしに引き受けたことでした。でも事情があって出来なかった。
―まあいいや、許してくれるだろう―
出来なかった時の言い訳には、結構いつもそうやって思って生きてきました。でも心の中で何かモヤモヤが残りました。それで浮かんだのがこの言葉でした。
中村さんは、100円のジュース1本を買いに行かされた時に帰りに歩いて帰ってきたことで師匠に怒られたそうです。その理由は、たかがジュース1本誰にでも出来る雑用をこなすだけでは小学生でもできるから、それは仕事でなく作業だと。
誰でも出来ることを一生懸命やる人は、何をやらしても一生懸命にやる。
すると、こいつやるなと思われる。そう思ってもらえたら可愛がってもらえて色々なことを教えてくれる。だから色々なことを経験できて自信がつく。
経験できるから自信がつくのであって、全く根拠のない自信ていうのはない(と私は思う)。
そう思うと何かと自信が持てない自分は出来なかった言い訳用に「まあいいや」精神を用意していて、人から頼まれたことに対して真摯に向き合ってこなかったのではないかと反省しました。
頼まれごと一つを疎かにするだけで、相手への信頼だけでなく自分に対して後悔します。「まあいいや」が積み重なると、いつの間にか「適当に扱われる人」に自分がなってしまいます。
反対に一生懸命きちんと約束を守ると、「こいつは頼れる奴だ」「見込みのある奴だ」と大事にされます。その中でもっと一生懸命やりたいこと・他の人よりもうまくできることが出てくればいつの間にか天職につながると。天職は自分でこれだと思い込む力っも必要ですが、他人に認められる力も必要です。その域まで行き着くには、目の前のことを表面的にうまくやろうとしても駄目。
誠実に一生懸命であること。
ひとりひとりに対しても、ひとつひとつに対しても。
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