【幸せになるために、原点に立ち戻ろう!】書評:嫌われる勇気


今更アドラー心理学?そう思う方もいると思います。

私がこの本に出会ったのは2年前でしたが、その時は最初の方は面白くても最後まで読むことはありませんでした。


それを最近読みだしたのはe-learningで『幸せになるためのアドラー心理学講座』を受講したのがきっかけでした。ジャカルタに来る前に「幸福学」に関心があり、「幸せ」に関する記事や本を集めています。その時に出会った講座がアドラー心理学です。

タイトルに「幸せ」とつけている位だから何か幸せになるヒントがあるに違いない…そう思ったついでに本も読むことにしてみました。


タイトルは「エッ?嫌われたくないんだけど…」そうと思わせるものですが、考えすぎて動けない人、自分を取り戻したい人は一度手に取ってみてほしいです。


誰からも嫌われるとは本来はあり得ない。

親に対して反抗期があったように、親しい人でも少なからず嫌われる行動を取り嫌われる原因を作り出したり、逆に親から勉強しろと押し付けられて親を疎ましく思っていた時期もあったはずです。けれど人は他者からの承認を受けたいために嫌われるのを恐れて行動しています。

例えばちょっとしたランチ会でも「本当は行きたくないけど、行かないと次呼んでもらえないかも…」と思ってお金も時間も使っている経験は、駐在妻なら一度や二度はあると思います。


しかし、アドラーは言います。

「嫌われるとは自由を行使し、自由に生きている証である」


自由に生きるとは自分勝手に生きることでなく、他者の課題に干渉せず、自分の課題に集中することです。全ての問題は人間関係であるとアドラーが断言しているように、人と人が集まると各自が持つ課題もパーソナリティーも異なりため、自分の課題に集中しにくい環境が生まれます。


昔人間関係で悩んでいる時、カウンセリングのコーチに

「2:6:2の法則」

を教えてもらったことがあります。


2割は自分のことを嫌いな人、6割は自分のことを何とも思っていない人、そして残りの2割は自分を応援してくれる人だと。どうやっても嫌いな人は現れる。自分を嫌いになるのは彼らの問題だから自分ではどうすることも出来ない。嫌われないように行動していたら、本当に自分がすべきことに力を注げなくなるとアドバイスをもらいました。


アドラーは「他人にどう思われるかという選択か、自分がどうあるかという選択をする場合違いなく後者を選ぶ」と断言しています。

それは他人には自分の人生の意味付けはされないもので、自分の人生に意味を与えるとすればそれは自分しかいないからです。

いつまでもやりたいことや言いたいことを我慢してご機嫌をとる人生は楽しいのでしょうか?

それは幸せになる生き方をしていると言えるのでしょうか?



さらにアドラーはこう助言します。

目標や夢がなかったとしても問題ない。いまここを真剣に語り、真剣に生きていればどこかに辿りつける。

目指すべきものがあればそれに向かって進めばいい。けれどそれがなくどこに向かっていいかすらわからない時だってあります。その時は今していることに集中して取り組む(これを刹那に生きると言っています)。その時は他のことは排除してただひたすらに目の前のことに集中します。

行先がわからないのでそんなの地図を持たないで冒険に出るみたいだと思われるかもしれません。でも地図がない状態でジャングルにいるのだとしたら、ただそこに立ち止っているほうが危険ではないかと思うのです。それならショートスパンでもすることを決め、それに真剣に取り組む。している活動はささやかでも、心は晴れ晴れするでしょう。段々と視界が明るく開けてくるでしょう。


「世界が変わるのは私によってしかあり得ない」

最後にアドラーがこのように言うのには理由があります。それは私がいまここを生きることで、生きる意味が見えてくる。すると見えてくる景色が変化し、人や社会に対しての見方が変化することだと思うのです。


力強い言葉ばかりが並んでいますが、内容は対話形式で書かれているため、自分がアドラーと対話しているかのように時に悩みながらも優しい気持ちで読めます。


心理学の巨匠・アドラーを知っておくのは悪くないのではないでしょうか?

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